心から生きて行くと決めたブログ

毒親育ちが、摂食障害、自殺未遂、人間不信、醜形恐怖症を克服し、前を向いて生きて行く為のブログ。

わたしのこと

 

 

物心ついた時から虐待を受けていた、と前の記事で書きましたが、親に対して『あ、コイツヤバイな』と感じたのは5歳くらいの頃。

 

 

私には親に甘えた記憶がない。

 

抱きしめて貰ったり、可愛いねと言われた記憶がない。

覚えているのは、母親が常にイライラしている顔、何故か分からないが何度も名字が変わる事(多分だが親が何回も結婚離婚を、繰り返している)、幼いなりに母に気を遣いながら生活していたのだが、機嫌を損ねたら癇癪を起こし、怒鳴り散らす事が多々あった。バカやろう!何してんだてめぇー!等

 

今考えたら、壁の薄いアパートで怒鳴り散らし、隣人にめちゃくちゃ迷惑かけてたんだろうなぁと。

 

遊びに連れて行って貰った記憶もあるので、他の家のママみたいに抱っこしてくれたりはしないが、きっと私は愛されてるんだ、とこの時は思っていた。

 

 

小学校に上がると、母親は再婚し、専業主婦になっていた。

この時代は、暴力こそ振るわれていたものの、本を買って貰ったり、服を用意して貰ったり、ランドセルを買って貰った記憶がある。

だが、機嫌次第で起こる母の癇癪は治っていなくて、機嫌が良い時は何もしないのだが、悪い時は最悪だった。

 

印象強く記憶に残って居るのは、

 

⚪︎耳たぶを鉛筆で刺される。

 

⚪︎癇癪が起こる度に、包丁を振りまして殺しにかかってくる。(シラフだよ)

 

⚪︎子供を車で追いかけ回し、轢き殺そうとする。

 

⚪︎とにかく子供は愚痴のサンドバッグ!再婚相手の父親についての悪口、職場の悪口、近所の住人にたいする悪口、等々なんでもかんでも子供に愚痴を聞かせ、強制的に同意を求めて、吐き出しにする(エブリデイ悪口)

 

⚪︎私は母からの重圧や、家庭のストレスでチック症になっていたのだが、それをバカにし、知的障害扱いし、精神科に精神鑑定させに連れて行かれた。

 

 

 

小学生の頃の印象に残って居ることはこんな感じかな。次は、中学生編書きまーす。